蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 75. それぞれの覚悟

長編 『蒼穹の果てに』

すべては長い夢だったように思う。そして、夢は終わらせなければならない。

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 ランティスが乗り気でないことは、車椅子を押す手を通して厭でも感じ取ることができた。それでもイーグルは、そのことについて気づかないふりを決め込んだ。ランティスの助けを借りて回廊を進むあいだ、辺りを見回しながらあれがすごいだのこれはすてきだなどと言っては場を持たせたが、それは存外気疲れすることで、図らずも、自分がこれまでどれほど周囲に気を遣うということをせずに生きてきたのか思い知らされることになった。

 狡猾さは自覚している。ランティスの、ぱっと見は強面だが誰よりも人からの頼みごとに弱く、首を横に振れないという性格につけこんで車椅子を創ってもらった挙句、彼にその車椅子を押させて道案内をさせている。だがほかに手段がないのだから仕方がない。目覚めたとはいえ、まだとても自由に歩き回れる状態ではないし、何しろ、ひとりでは迷わずに目的地へとたどり着くことは不可能とわかっていた。オートザムのあの狭い大統領府ならいざ知らず、この広大なセフィーロ城の中がどうなっているのか、イーグルはまったく知らない。無駄なことに時間は使いたくなかった。残された時間は少ないと感じていた。もっとも、それがいったい何に向けて「残された」時間なのかは、イーグル自身もわかっていなかったが。

 場を持たせる会話にも限界が見え始めたころ、ずっと一定の速度で動いていた車椅子が、少しずつ減速を始めた。
「ここだ」
 ランティスの低い声とともに車椅子が止まる。見上げると、そこには一枚の扉があった。扉全体に張り巡らされた蔦と大きな葉っぱを模った中央の取っ手が、そこだけを別世界であるかのように見せていながら、同時に周囲と絶妙にバランスを保っていた。
「ウミの部屋ですか?」
 訊ねると、ランティスは「いや」とかぶりを振った。
「薬師(ディル)フーガの部屋だ」
「薬師……フーガ?」
 イーグルが鸚鵡返しするのとランティスが扉をノックするのとは、ほぼ同時だった。

「薬師フーガ」というまったく聞いたことのない人物について、その名前からだけでイーグルが咄嗟に思い浮かべたのは、オートザムでよく見かける白衣を着た医者だった。だがその想像は激しく裏切られることになる。ノックの音に呼応して開かれた扉の向こうから顔を出したのは、白衣からはほど遠い、薄汚れた枯葉色のローブに身を包んだ老人だった。
 想像とはまるで違ったが、彼の姿を見てしまうと、もはや逆に白衣姿を思い浮かべることは不可能だった。フーガが全身にまとうさまざまな薬草の香りには、驚くほどの説得力があった。

「薬師」とランティスが言った。「イーグルが、ウミに会わせてほしいと言うんだが」
 フーガの白濁したエメラルド色の瞳がイーグルを捉える。背筋が伸びたのは無意識のうちだった。「こんにちは」と言うのがやっとだった。フーガの目が細められる。その表情を見て、彼にはたった一言「こんにちは」だけですべてが伝わったのだと理解した。クレフに会ったときと似たような感覚だった。フーガもまた、かなり長い時間を生きてきた人なのだろう。
「入られよ」
 フーガが観音開きの扉を大きく開け放った。
「目覚めはまだ、当分先ですぞ」
 淡々と、しかし重々しく紡がれた言葉は完全に不意打ちだった。伸ばした背筋が覚えずすっと冷えた。
 一瞬の間があって、後ろから力が加わり、車椅子が前進した。はっとわれに返り、イーグルは、ランティスがいてくれて本当によかったと思った。彼がいなければここで躊躇していたかもしれない。そっと深く息を吸い込み、そして吐いた。

 決して広くはない部屋の中で海の姿を見つけるのは容易だった。窓際のベッドに、鮮やかな水色の髪が散っているのが見える。ベッドサイドから少し離れたところで車椅子が止まったので、イーグルは自らの手で車椅子を全身させてもう少し近づき、そしてそっと覗き込んだ。そこに横たわっていたのは、まるで人形のような少女だった。

 美しい娘だとは聞いていた。噂に違わず、海は確かに目鼻立ちの整った娘だった。だが今は、美しさよりも痛々しさのほうが先に胸を衝いた。白すぎる肌は今にも消えてしまいそうなほどはかない。胸が上下しることを確認しなければ、生きているかどうかもわからないほどだった。彼女が就いている眠りの深さは、誰に聞かずとも理解できた。
 固く閉ざされた瞼の下に、長い睫毛が影を作っている。その瞳が、二度と開かれることがなかったら――縁起でもないことが脳裏を過り、イーグルは慌ててかぶりを振った。
「だいじょうぶだ。『心』が回復しさえすれば、目を覚ます」
 ランティスが、まるでイーグルの心にかかる不安を読み取ったかのようにそう言った。イーグルは思わず顔を上げた。ランティスはイーグルとは目を合わせず、海のことを見守っていた。
その蒼い瞳が嘘をつかないことを、イーグルはよく知っていた。あらぶっていた波が凪ぐように、心の緊張がほぐれていく。イーグルは改めて海を見た。
 閉ざされた桃色の唇も、長い睫毛も、本当に人形のようだが、そこには人形なら決して持ち合わせていないであろう色香があった。彼女の笑った顔が見たいと思った。美しい人は、笑っているのが一番似合う。
「僕の力を分けてあげられたらいいんですが」
「何をばかな」
 考えるより先に出ていた言葉は、間髪容れずに一蹴された。
「人に分け与えられるほどの余裕はないだろう」
「それはまあ、そうなんですが」
 われ知らず失笑した。確かにそのとおりだった。ここまで来るにもランティスの助けを借りなければならない。わかってはいるが、改めて思い知らされると、悔しさが先に立った。

 イーグルは僅かに身を乗り出し、シーツの上で軽く組まれた海の手に自らのそれをそっと重ねた。彼女の手は温かかった。
「必ず、すべてを終わらせます」とイーグルは言った。「あなたは、導師クレフの心を救ってください」
 もしも誰かクレフの心を救える人がいるとしたら、それは海以外にはいない。イーグルはそう思っていた。海はクレフのことを、『導師』としてではなくひとりの人間として見ている。海ならば、クレフが抱えているであろう癒えることのない傷も含めて、クレフの持っているものすべてを「クレフ」として受け容れるだろう。そうしたくて、彼女は真正面からクレフと彼の抱えているものと向き合い、そして深い傷を負った。
「愛する人を守りたい」という海のひたむきさは、その場に居合わせていなかったイーグルでさえ、痛いほどに感じることができた。そこには強い覚悟があったのだろうということも。そのことが、いったいどれほどの人の心を揺り動かしただろう。
イーグルは海の手を改めて握り直した。負けたくない、と思った。十近くも年の離れた娘の覚悟に負けるようでは、オートザム国元司令官の名が廃る。

「薬湯はいかがかな」
 ふと柔らかい声がして、イーグルは顔を上げた。奥の厨から、フーガが盆を手にこちらへ向かって歩いてくるところだった。一瞬、ここが薬師フーガの部屋であることを忘れていた。
「ちょうど、いい薬草が手に入ったところでしてな」
 近くの丸テーブルに、二つの椀が置かれる。立ち上った香りが鼻を抜けただけで、イーグルは全身の血液が浄化されていくように感じた。それはまるで、パズルのピースがはまるように、今のイーグルに足りないものを補ってくれる香りだった。
思わずフーガを見上げると、あの薄いエメラルド色の瞳が、静かに細められた。この人はわかっているのだと思った。フーガは、目の前の人が欲しているものを直感的に捉えることができるのだ。ひょっとしたら、当人以上に。
「いただきます」
 笑顔で椀に手を伸ばす。一口含むと、凝り固まったものが解けていくのを感じた。
「おいしい」
 ほどけた体に、薬湯とともに先ほどの決意が沁み込んでいく。戦う用意はできていた。自分のためではなく、守りたいもののために。

***

 クレフはそっと杖の柄を撫でた。木漏れ日から射し込む太陽の光が、かつて『エテルナ』と呼ばれていた泉の水に反射し、杖の宝玉を光らせる。『精霊の森』の最奥でもあるこの場所は、セフィーロの中でももっとも静寂に満ちた場所だった。聞こえるのは風と水の音、土と木々が息づく声のみである。
 クレフは目を閉じ、その音を全身で味わった。いつまでもそうしていたかったが、決意とともに瞼を開くと、杖を構えて静かに力を込めた。
 自然のものではない風が、クレフを中心に渦を巻く。意志を持った宝玉の輝きが一際強くなり、そこからクレフを主とする精獣たちが姿を現した。しんがりで飛び出したのはフューラだった。一瞬にして、クレフは大勢の生き物に囲まれることになった。

 クレフはそれぞれの精獣の体を撫でながら、一体一体に存在する思い出を脳裏に呼び起こした。いずれももう何十年、あるいは何百年と付き合っている者たちばかりだ。『命』にかわいがられた者もある。一度懐古し始めると、思い出にはきりがなかった。特にフューラは、クレフが初めて従えた精獣で、唯一この地が『ゼファー』と呼ばれていたころを知り、数えきれない苦楽を共にしてきた。精獣たちのことは皆等しく慈しんでいるつもりだが、フューラに対しては、やはりどこか特別な感情を抱いていることは事実だった。
 そのフューラが、喉を鳴らしてクレフに近づいてくる。しかし今日のそれは甘えるものではなく、不安を前面に押し出した哀しげな泣き声だった。思わず苦笑いがこぼれた。精獣にこんな顔をさせるようでは、主失格だ。
「すまないな」
 そっと手を伸ばし、そのつるんとした肌を撫でる。
「ありがとう」
 口をついて出たふたつの言葉は、一見矛盾するようでありながら、しかしクレフの心をこれ以上なく説明しうるものだった。

「心配ない」という意図は伝わっているはずなのに、フューラは決して尾を振らない。ふと気がつくと、フューラのみならず、クレフを囲んでいる精獣たちが皆同じように不安げな顔をしていた。
「そんな顔をするな、おまえたち」とクレフは精獣たちを見回して言った。「私はすぐに戻ってくる」
 それが可能かどうかは別にして、本当に、そうしようという強い意志はあった。クレフが死ねば哀しむだろう者が、この世界には大勢いる。残された者の哀しみは誰よりもよくわかっているつもりだった。こんなしょぼくれた命、それで世界を救えるのならば喜んでくれてやるが、もしもそうすることで誰かを哀しませてしまうとしたら、それは必ずしも望むことではなかった。
 しかし、だからといって動かないわけにはいかなかった。ほかにふさわしい者などいないのだ、クレフが向かわずして誰が向かうというのか。すでに悩む段階は終わっていた。あとはこの地を蹴り上げるのみだ。

 ぽん、とクレフはフューラの体を叩き、わが子のように愛おしい精獣たちをぐるりと見回した。
「留守を頼む」
 精獣は主の言葉に逆らうことはできない。どんなに抗いたい意志を持っていても、フューラたちにとって、クレフの言葉は絶対だ。だからフューラたちは、クレフがそれを赦すか、もしくはクレフ自身が死なない限り、「留守を頼む」という言葉に従うしかない。たとえ、このセフィーロにどのような結末が訪れようとも。
 いけない、とクレフは思った。考えすぎてはいけない。感傷的になるには早すぎる。
 クレフは、まだ何か言いたげな視線を向けてくるフューラたちを振り切るようにしてさっと踵を返すと、足早に歩き出した。ところがいくらもいかないうちに、不意に上空から降り注ぐ視線を感じた。思わず立ち止まり天を仰ぐと、太陽の光を遮るような大きな翼を認めた。
 雄大に広がる翼は、はるか上空を飛行しているはずなのに、その大きさを物語る。クレフは空へ向かって軽く口笛を吹いた。
翼の描く軌道が変わる。まさに急転直下の勢いでこちらへ向かってくるそれに、あたりの木々がざわめき出す。クレフのローブも風に揺れてはためいた。距離が縮まれば縮まるほど、木々の枝が傾くほどの風があたりを吹きすさぶ。その翼の主はクレフの目の前で着地したが、大きな体にもかかわらず、着地の瞬間はどんな音も発しなかった。やがて翼がしまわれると、何事もなかったかのように風も止んだ。
 その大きな体には不釣合いなほどの小さな瞳は、しかし変わることなく真紅の輝きを放ち続ける。その瞳でクレフを認めると、「それ」はクレフに向かって恭しくこうべを垂れた。このセフィーロで生きとし生けるものの中でもっとも大きな体を持つ、大鷲だった。

 かつてこの大鷲とともにいたとき、アスコットが「人食いの大鷲ですよね」と驚愕に目を見開いて言ったことを思い出す。確かにこの大鷲は人を喰らったことがある。今でこそ、普段はクレフでさえ知らない遥か遠い森の奥でひっそりと暮らしているが、最初のころは、人を襲わぬよう手なずけるのに大層苦労したものだ。しかし、人を喰らうことについてこの大鷲を責めることはできなかった。大鷲が人を恐れるのは、人の方にこそ理由がある。いや、正しく言えば、その責めはクレフにあるのだった。

『留守を頼む』
 今は誰も口にしない言葉で、クレフは大鷲に語りかけた。大鷲は顔を上げると、その嘴をクレフの頬に摺り寄せてきた。めったに見せないその甘えたしぐさに驚いたが、この大鷲もまた、クレフの決意を知り、それをできることなら留めたいと思ってくれているのだと気づき、思わず苦笑した。わからなかった。なぜ私のような者を皆、これほどまでに慈しんでくれるのだろう。まして、すべてを記憶しているであろうこの大鷲までも。
『ありがとう』
 今はそう言うのが一番いいのだろうと思った。
 名残惜しそうな瞳に後ろ髪を引かれる思いだったが、それを無理に引き剥がし、クレフはその場を後にした。背中に突き刺さるような視線をいくつも感じていたが、一度も振り返らなかった。


――「死ぬことは赦さぬ」
 今日までクレフを生かしてきたのは『主』のその言葉であったと言っても過言ではない。言葉は時に人を縛る。それは思いがけないほど強烈で、そして時に惨酷だ。『主』のその言葉がなければ、クレフが今ここでこうして歩いていることはなかっただろう。
クレフにとって、生きることは贖罪だった。だからこそ、『主』はクレフに生きることを課したのだと思っていたが、あれから何百年という時を経た今、ひょっとしたら、『主』はすべてをわかっていたのではないかとクレフは思う。『主』はセフィーロが今のような試練に直面することを見抜き、「その日」のために、クレフを生きながらえさせてきたのではないか。決して、クレフの贖罪のためではなく。

  『主』がこの地を離れてしまった今となっては、もはやその真意を知ることはできない。だがもしもそうだとしたら、終わりは着実に近づいている。すべては長い夢だったように思う。そして、夢は終わらせなければならない。
 いつになく穏やかな気分だった。ゆっくりと空を流れる雲を追いかけながら、セフィーロ城へと向かう。しかし中途で、その城の方からこちらへ近づいてくる気配を感じて足を止めた。

 ちょうど地上門にさしかかったときだった。城から飛び出してきた娘は、クレフの姿を見止めると、はっと急ブレーキをかけて立ち止まった。金色の髪がふわりと揺れる。自分を探していたのだと、その揺れる大きな瞳が告げていた。
「フウ」
 名前を呼ぶと、娘は一度瞬きをし、中途半端に開かれていた唇を閉ざした。そしてゆっくりと、一歩一歩確かめるように、こちらへと歩み寄ってきた。




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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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