蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 77. 強さと優しさと淋しさと

長編 『蒼穹の果てに』

クレフはいつも、そうして必要なときに必要なものを与えてくれる。それも、欲していることを本人が気がついていないようなものを。

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 あれは、ザズが行方知れずになったとジェオが告げに来た日の夕方のことだった。廊下を歩いていたアスコットの目に、柱にもたれて人知れず目を濡らすタータの姿が飛び込んできた。
 タータのことを思い出すとき、アスコットの脳裏に浮かぶのは、あのときに見た涙と今にも消えてしまいそうな儚い笑顔だ。それまでは「気が強いお姫様」という印象しかなかったのに、あのときのささやかな言葉のやり取りがすべてを一変させた。
『私は姉様には絶対に勝てない。それは私が一番よくわかってる。どうしようもないことなんだ』
 きっぱりと言い切ったその口調が、まるできのう聞いたことのように耳の奥にはっきりと残っている。

 あのとき月並みな慰めしか口にできなかったことが、アスコットの中に大きなわだかまりを残していた。もしもあのとき自分がもっと気の利いたことを言えていれば、タータが失踪するようなこともなかったのではないだろうか。
「――そうじゃない」
 呟き、アスコットはやや離れたセフィーロ城を振り仰いだ。「気の利いたことを言えていれば」ではない。あのときアスコットがやるべきだったのは、慰めの言葉を掛けることではなく、とことん彼女の心と向き合い、それを受け止めることだった。それをしなかったのは、無意識のうちに逃げていたからだ。タータの心にある影、その深さを知ることが怖くて、見てみぬふりをしていたのだ。
 その後ろめたさがあったせいだったかもしれない。きのう、エリーゼが城に現れたとき、あんなことになったのは。


『「人殺し」』
 エリーゼがその言葉を発した瞬間、アスコットは自分の中で何かがプツンと音を立てて切れるのを聞いた。
 大声で叫びながら飛び出したことまでは憶えているが、その後のことは記憶がない。気がついたらランティスとラファーガに羽交い絞めにされていた。われに返ったあとでふと、回廊に並んでいた柱の一本が壊れていることに気づいたが、それが自分自身の手によるものだと知ったときは血の気が引いた。無意識のうちに魔法を暴発させていたのだ。それはアスコットにとって生まれて初めての「われを失う」という経験だった。
 あのとき感じた気持ちをどう形容したらいいのかわからない。怒りだったのか憤りだったのか、それとも哀しみだったのか。どれも当てはまるようで、どれも違う気がした。幾多の感情が渦巻いていて、それをどう処理したらいいのかわからなかった。それが「魔法の暴発」という結果になった。
 ただ、あのときあの場にいた人は皆、アスコットと同じように感情の渦の中に放り込まれたはずだ。実際、アスコットを羽交い絞めにしたランティスとラファーガの腕は震えていたし、唇はわなないていた。それでも自分の感情をコントロールすることができなかったのはアスコットただ一人で、冷静になると人としての未熟さを恥ずかしく思った。そして、倒れている海を見たとき、一歩間違えば暴発した魔法のあおりを受けて彼女でさえも傷つけてしまっていたかもしれないという強い恐怖心と後悔が襲ってきて、それまで感じていた灼熱の炎のような感情はどこかへ消え去っていったのだった。


 丸一日が経った今になってもなお、海に目覚める気配はない。できることなら彼女の受けた傷を自分が代わりに引き受けたい――そう思う気持ちだけは強くあるのに、実際に自分にできることは何もなかった。無力さだけがのしかかる。負の感情に押しつぶされてはいけないと、頭ではわかっているのに、湧き上がってくる悔しさをどうすることもできない。
 いつの間にか、手の甲に筋が浮かぶほど強く拳を握りしめていた。アスコットは城に背を向けると、その筋を解くようにして掌を広げ、体の前で組んだ。そして湧き上がる悔しさをぶつけるように、目の前の更地に向けて魔法を紡いだ。
『稲妻招来!』
 稲妻が走り、更地に深くヒビが入る。目を焼くような稲光もしかし一瞬のことで、組んでいた手を解くと、強くアスコットのローブをはためかせていた風もすうっと凪いだ。雷光の名残が、白いローブに当たって小さな悲鳴を上げ、消えた。
 無理を言ってランティスに修行を見てもらったあのときから、多少は魔法の威力が増したと思う。それでもまだまだ、自分が目指しているところには程遠い。この程度の力では、『破壊神』はおろか、少し力の強い魔物にでさえも勝てないかもしれない。

『――焦ってはいけない』
 不意にクレフの声が聞こえた気がした。確かにクレフならそう言うだろう。わかってますよ、と心の中では言ってみるものの、焦らないわけがなかった。行方の知れないタータたちのことや『破壊神』のことだけではない。そもそもオートザムがいつ攻め入ってくるとも限らないのだ。今回チゼータの民を呼び寄せたことによって、守らなければならない人は格段に増えた。それなのに、ザズ、サンユン、タータはおらず、頼みのジェオとも連絡が取れない状況が続いている。おまけに『魔法騎士』の一人である海までも倒れてしまい、三人分の働きをしても足りないような状況なのに、一人前にすらなれていないのだ。焦りが募らないわけがない。
『稲妻招来!!』
 もう一度とどろかせる。先ほどより威力が弱まっているように見えるのは気のせいか。
「くそっ!」
 アスコットは思わず地面に拳を打ちつけた。

 許されるなら――タータを助けるために月へ行きたい。それは偽善でも何でもない、アスコット自身の願いだった。けれどそれが許されないことも、また自分がすべきことでないこともわかっていた。今はセフィーロに留まり、ここでひとりでも多くの人を守らなければならない。月へ行ったところでみすみす命を無駄にして終わるだけだろう。それにこの地には自分の大好きな人たちもいるし、海もいる。そして何より、今のアスコットには月へ行けるほどの強さはない。それは自分自身が誰よりもよくわかっていた。
「ずいぶんと熱心だな」
 突然背後から聞こえた声に、完全に不意を衝かれたアスコットは振り返りながら思わず体のバランスを崩してよろめいた。
 あまりに間抜けな恰好で、声の主と対峙することになる。彼の方も驚いたようで、すっかり目を丸くしていた。アスコットはあまりにばつが悪く「えへへ」と曖昧な笑みをこぼすしかなかった。それを見て、彼が相好を崩した。
「すまなかった。それほど驚かせるつもりはなかったのだが」
「いえ、導師クレフ。僕がぼーっとしていたので」
 クレフが歩み寄り、アスコットに向かって手を差し出してくれる。その手をつかんで立ち上がると、懐かしいデジャヴが脳裏にふわっと広がった。以前はしょっちゅう、時間を見つけてはここでクレフに魔法の修行をつけてもらっていたものだった。つい半月ほど前まではそんな光景が当たり前だったのに、今ではそれを懐かしいと思うようになってしまった。「半月」という言葉が軽すぎるほど、実にたくさんのことが、この間に起きたのだ。

「ここのところ、さっぱりだったな」
 修行のことを言っているのだとすぐにわかった。「はい」とうなずいたそのしぐさがあいまいなものになっていることに、自分でも気がついた。クレフもまた気がついたようで、きょとんと首を傾げた。
「どうした。おまえが修行をしたがっていると、ランティスから聞いていたのだが。あれははったりだったのか?」
 かあっと頬が染まるのを厭でも感じた。「はったりなんかじゃないです」と今にも消え入りそうな声で呟き、思わず俯いた。
 ランティスに聞いたということは、彼に修行をつけてくれるようにとアスコットが頼んだことも、もちろんクレフは知っているのだろう。本来の師匠であるクレフにそのことを知られるのは居心地のいいことではなかった。
 本来、魔導師はひとりの師匠のもとで生涯修行を続ける掟になっている。それなのにアスコットがランティスに修行を乞うたということは、その掟に背いたことになり、師匠に対する背信行為だ。「クレフが忙しそうだったから」というのは言い訳にはならない。あのときはただ必死で、先のことなど考えもせずランティスに「修行を」と頼んだが、今になってみるとどうしてあんなことをしてしまったのだろうと思う。
「恥じることなどないもない」
 言葉とともに、クレフの手が優しくアスコットの腕に触れた。
「強くなりたいのだろう。自らの『願い』をかなえるために」
 アスコットははっと息を呑んだ。

 前もそうして、クレフに優しく腕を叩かれたことがある。その小さな手から伝わってくる『気』は驚くほどに力強く、それまでアスコットが抱えていたもやもやとした気持ちのすべてを吹き飛ばすかのようだった。
 クレフはいつも、そうして必要なときに必要なものを与えてくれる。それも、欲していることを本人が気がついていないようなものを。
「はい」とアスコットはうなずいた。「強くなりたいです。誰よりも、強くなりたい。愛する人たちを守れるように。そして――もう二度と、後悔しないように」
 クレフがアスコットを見返す。真っ青な双眸は、まるでアスコットの心の中に入り込んでくるかのように強かった。得も言われず面映い。われ知らずごくりと唾を飲むと、クレフは瞳の輝きを力強くした。
「しかし、アスコット。強くなるということは、必ずしもよいことばかりではない。強くなればなるだけ、傷つくことも増えるかもしれないのだぞ」
 アスコットは目をしぱたいた。「強くなりたい」と言ったときに忠告を受けることは、これが初めてのことだった。ランティスでさえ、「強くなりたい」と言ったアスコットを受け入れ、修行をつけてくれたというのに。

 一蹴することは簡単だ。これがほかの人の言葉であったなら、笑い飛ばすこともできていただろう。けれど今アスコットの目の前に立っているのはほかでもない「導師クレフ」だ。クレフの言葉は常に真実しか含まない。だから簡単には首を横には振れなかった。
「それは、ご自身の体験談ですか」
「え?」
 今度はクレフが目を丸くする番だった。
「あなたは、誰よりも強い。それだけ、傷ついてきたんですか?」
 どうやらそんなことを言われるとは思っていなかったようだ。クレフは、彼にしては珍しいほどうろたえ、瞳を揺らがせた。それは、おや、と思うほど想像を逸した反応だった。
「そういう意味ではない。ごく一般的に言ったら、という話だ」
 けれどクレフは、まるでうろたえたことが嘘だったかのようにすぐ表情を引き締め、さっとかぶりを振った。アスコットの腕に触れていた手が、いつの間にか離れていた。
「でも」とアスコットは食い下がった。「傷ついて平気な人なんていません。あなただって同じでしょう。『導師』だってなんだって、僕たちと同じ人間なんですから」
 クレフがその瞳を大きく見開く。突然、無性に腹立たしくなってきて、アスコットは畳みかけるように続けた。
「導師クレフ。あなたはいつもそうやって、自分のことに無頓着すぎるんですよ。確かにこのセフィーロにあなたほど強い人はいない。でも、そのお心は僕たちと同じはずです。傷つくこともあるし、哀しいことだってある。そういうことを、もっと周りの人と分かち合おうとしてくれてもいいじゃないですか」
 思ったことを一息で言い切ると、対峙した二人のあいだに張り詰めた沈黙が流れた。

 ああ、とアスコットは思った。僕が早く強くなりたいと思うのは、導師クレフの力になりたいからでもあるんだ。
 そう伝えようとして口を開いた、そのときだった。クレフが徐に杖を掲げる。そして、え、と思うより早く、獣の口がアスコットの頭を勢いよく噛んだ。
「何するんです!」
想像していなかったので余計に痛かった。アスコットは思わず悲鳴を上げ、頭を抱えた。
「愚か者」とクレフは言った。「私に向かって啖呵を切るなど、百年早い」
 そういう問題か。言い返したい気持ちは山々だったけれど、しぶしぶ唇を結んだ。この話題はここまでだ、クレフは暗にそう言っている。さすがのアスコットにも、そのくらいは理解できた。

 強くなるということは、それだけ傷つくことだ――クレフの言葉を、アスコットは心の中で反芻した。それは否定できるものではなかった。強いということはそれだけ戦いに勝てるということだが、もしもそれが戦なら、戦いに勝つということは、それだけ人を殺すということだ。人を殺す行為は心に傷を残す。たとえそれが自分たちの身を守るためであったとしても。それは海たちが教えてくれた。そして彼女たちは今もその心に癒えない傷を抱え、そして海はその傷を抉られて防御の眠りに就いた。
 同じような目に遇ったとき、自分は迷わずに正しい道を選べるだろうか。
「それでも」とアスコットは口を開いた。「たとえ傷ついたとしても、僕は強くなりたい。傷つくことを恐れていては、守りたい人は守れないと思うからです」
 きっと、悔やまない人も傷つかない人も間違わない人もいないのだ。それでも誰もが生きていく。ただひとつ、「幸せになりたい」という願いのために。そしてアスコットにとってその道は今、「強くなる」ところから始まろうとしている。

 クレフがアスコットを見返す。本心かどうか確かめるようなまなざしに、思わずたじろぎそうになる。
 やがてふっとそのまなざしを緩めると、クレフは穏やかにほほ笑んだ。
「……そうだな」
 そしてクレフがまた杖を構えたので、アスコットは咄嗟に身構えた。けれど今度は、その杖の先がアスコットの頭に迫ってくることはなかった。大きな蒼い宝玉が光り、すっと伸ばされたクレフの腕の上に集まる。やがて現れたのは白い純白の布だった。
 大判のそれを、クレフがアスコットに向かって差し出す。反射的に受け取ったはいいものの、意外すぎるその展開に、戸惑わないわけがなかった。
「『沈黙の森』で取れる蚕から作ったローブだ」とクレフは言った。「ラファーガとカルディナに渡してくれ。ノアを包むのに使えばいい。きっと役に立つだろう」
 それは、触った瞬間に人の温もりに触れているような感覚を覚えさせる不思議な布だった。糸と一緒に魔法が織り込まれているのだろうか。
 どうしてこんなものを、と顔を上げると、すでにクレフはアスコットに背を向けて歩き出しており、あっという間に声も届かないほどの距離ができてしまった。
「……自分で渡せばいいのに」
 急に募った淋しさに追い打ちをかけるように、ひんやりとした風が頬を撫でた。クレフの背中が完全に見えなくなってしまっても、アスコットはなぜかその場から動くことができなかった。




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2018.06.18    編集

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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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