蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 80. 黒い闇

長編 『蒼穹の果てに』

本当に目の前まで「闇」が迫ってきたとき、人は何もかもを失くすのだ。

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 プレセアがランティスの『心』に強い念を飛ばしてきたのは、ランティスがちょうどイーグルを部屋まで送り届け、そこを出たときのことだった。
『――ティス、ランティス!』
 声だけで、尋常ではない様子が伝わってきた。まさかまた、あの「エリーゼ」と呼ばれた女が現れたのか――ランティスは咄嗟に懐の剣に手をかけたが、プレセアが続けて口にしたのは思いもよらないことだった。
『あのひとが――クレフが行ってしまう!』
『――なに?』
 一瞬、「クレフ」と「行ってしまう」という言葉がうまく結びつかなかったのは、ランティスにとってクレフはいつも「そこにいる」人だったからだ。クレフはいつだって「そこ」にいて、人々を受け容れる存在だった。かつて、荒れ果てていたころのセフィーロにランティスがオートザムから戻ったときも、クレフのいるところだけは、かつてのセフィーロの面影を淡々と残していた。ランティスにとって――いや、このセフィーロの人々にとってクレフは『セフィーロ』そのものであった。そのクレフがどこかへ行ってしまうということの意味が、ランティスにはよくわからなかったのだ。でも、プレセアは確かに「クレフが行ってしまう」と言った。そして、その言葉が何を意味するのか――たったひとつの可能性にたどり着いたとき、ランティスの全身から血の気が引いた。
『――今、導師は』
『わからないの。ついさっきまで私のところにいらっしゃったのだけれど、もう、気配を追えなくて――』
 ランティスは神経を研ぎ澄ませ、セフィーロ中からクレフの気配を探した。ほかの誰とも違う、どこまでも広がる大海原のように雄大でありながら鋭く尖った切っ先のように凛とした、彼独特のあの気配。プレセアが追うことのできなかった気配も、ランティスは見つけ出すことができた。そして、彼が今いるところは――
『お願い、ランティス。あのひとを止めて!』
 プレセアのその悲痛な叫び声は、号砲のようにランティスの背を押した。返事もそこそこに、ランティスは弾かれたように駆け出した。クレフの気配を感じ取った、天門に向けて。

***

『クレフ。この空の向こうには、何があると思う?』
 かつて、クレフにそう尋ねた者がいた。
 いま、その「空」にもっとも近い場所であるセフィーロ城の天門に立ち、クレフは美しい夕焼けを眺めている。「門」という名を持ちながら、そこには空と城とを区切るものは何もない。吹きつける風は冷たく、ときにそれは刺さるほどだと感じることもある。それでもその過酷さこそが「自然」であり、何よりも尊いものだということをクレフは知っていた。冷たい風はたそがれる空をより一層引き立たせこそすれ、取り去ってしまいたいと思うようなものではなかった。
『何、と言われても。「オートザム」や「チゼータ」、「ファーレン」でしょうか』
 かつて、馬鹿正直にそう答えたクレフに対し、問いを投げかけた者――『命』は破顔一笑したものだった。
『まだまだ青いな、クレフ』
 どこかからかっているような『命』のその言葉は、クレフをやや苛立たせた。でも、今にしてみれば確かに当時の自分は青かったと思う。なるほど、この空の向こうには3つの異なる国がある。だが、『命』が聞きたかったことはそういうことではなかったのだ。この空の果てにあるものは何か――それはすなわち、「この世界はどこへつながっているか」という問いであり、また「おまえはどこへ行こうとしているか」という問いであった。当時のクレフは、そこまで考えを至らせることができなかった。そのときはそのときで絶えず先のことを考えながら生きているつもりだったのに、実のところは「今」を生きることで精いっぱいだったのだろう。

 夕焼けに染まった空を、幾筋の雲が、まるでクレフをいざなうように手前から奥へと流れていく。
 この空は美しい。永遠に続くかに思える美しさを携えている。でも、クレフはこの空がかつて終わりの見えない闇に覆われた時代が二度もあったことを知っている。それはすべてを飲み込んでしまうかのような圧倒的な深さを持った「黒」だった。そこにあったのは絶対的な「無」で、取り込まれたら二度と戻ってこられないことが直感的にわかっていた。それは不思議な感覚だった。恐ろしいという感情すらも芽生えることがない。本当に目の前まで「闇」が迫ってきたとき、人は何もかもを失くすのだ。
「――『闇』」
 今のクレフなら、もしも『命』にあのときと同じことを尋ねられたとしたらこう答えるだろう。この空の向こうにあるものは「闇」であり、「無」であると。

 クレフはくいと顎を上げ、視線をさらに高く遠くへと飛ばした。東の山入端からはるか上空に、ひときわ大きく輝いている星が見える。その星を――『月』を真っすぐに見上げながら、これほどはっきりと正面から月を見たことは今までなかったことに気づく。ずっとそこにあったのに、いつも目の端に引っかかっていながら、受け止めることを無意識のうちに拒絶していたのかもしれなかった。
 過去にこの世界が滅びたことも、空の果てに闇があることも、忘れてしまいそうになることがある。でも月は夜になると必ずその姿を現し、クレフに過去と現実と未来を突きつけてきた。忌わしき過去と償うべき現在、そしてまだ見ぬ未来。過去を変えることはできない。でも、未来は変えることができる。もしも迫りくる未来が暗澹たるものである可能性があるのなら、その未来を変えるために現在(いま)動かなくてはならない。たとえ、そのために「いま」誰かを哀しませることになったとしても。

 クレフは月を真っすぐに見上げたまま、右手に持った杖を強く握りなおした。
 装飾が揺れ、軽やかな音を立てる。一陣の風が吹き込んできたとき、クレフは一瞬で自らの内側にある『力』を凝縮させ、そして解き放った。
 パン、と音が爆ぜ、暴力的なまでの力がクレフと、そして彼が手にしていた杖を包む。しかしもう、杖は手にできる形ではなくなっていた。クレフの開かれた右手には何もなく、やがて、はためく風が凪いできたころ、クレフの目の前に一頭のペガサスが姿を現した。
 純白の体に、金色の鬣。額からは紫の角が真っすぐに生え、両方の瞳はどこまでも透きとおった海のように青い。広がった羽はどんな鳥が持つものよりも大きく、無駄なものを一切そぎ落とした脚はどんな獣が持つものよりも強靭であった。
 ペガサスはじっとクレフを見つめ、待っている。クレフがそっと手を伸ばすと、まるでそうすることがわかっていたかのようにこうべを垂れ、自分からクレフの手に鼻筋を触れさせた。

 よく知っている、とクレフは思った。手に触れるペガサスの感触を、クレフはよく知っている。
 すべては必然だったのだろうか。クレフは誰にともなく心の中で問うた。幼い時分、魔法力を高めるために必要に迫られて自ら創り出した杖だった。その杖が獣のような形をしていたのは、今日日こうしてペガサスにその姿を変え、クレフを遠く月へと運ぶためだったのだろうか。
 杖を創ったときのクレフはまだ幼くて、高まる魔法力のスピードに自身の制御能力が追いつかず、どうしてもそれが必要だった。だがそれから気が遠くなるほどの時が流れ、自在に自らの魔法をコントロールすることができるようになった今、クレフにとって杖は「どうしても必要なもの」ではなくなっていた。もう、何もなくても魔法を使うことができる。呪文さえもいらなかった。必要なのは強く心で「願うこと」だけで、それをどうしたら『魔法』という形にすることができるのかも、クレフにはわかっている。どうして今日まで気がつかなかったのかが不思議でならないほど、杖を持たない自分に違和感がまったくなかった。

 クレフがそっと手を離すと、ペガサスは何も言わなくてもその体をわずかにこちらへ寄せてきた。クレフはペガサスの首元に手を当て、背中にふわりと乗り上がった。
 ペガサスが音もなく体の向きを変え、セフィーロ城を背にする。
 もう、目指す方向は闇に包まれようとしている。これから自分が行くところは「闇」なのだ。そう思ったとき、急に遠い昔の会話が脳裏をよぎった。
『――あるじさま、何をなさってる?』
『――空を眺めているのだ』
 あのひとは、空の向こうに何を見ていたのだろう。クレフは実際にそれを尋ねたのに、『主』はあのとき答えなかった。今にして思えば、『主』もまた、『命』がそうであったように「空の果て」に思いを馳せ、そこに何かを見ていたのだろう。クレフが導き出した答えは「闇」だったが、あのふたりが見ていたものが何だったのかはわからない。ふたりとも、ついぞクレフに答えを返すことはないまま去ってしまった。

 不意に、ペガサスがその体を震わせた。まるでクレフを現実へと引き戻そうとしているかのようなしぐさだった。クレフは思わず笑みを刷いた。
「いけないな」
 どれほど望んでも、もう『主』や『命』が空の果てに何を見ていたのかを知ることはできない。今は、それがたとえ間違っていたとしても自分が導き出した答えを信じるしかないのだ。
「さあ、行こう」
 クレフは静かに、だがしっかりと言った。ペガサスの耳が立つ。いざ飛び立たんとした、そのときだった。
「――導師」
 凛とした声が、振り上がりかけたペガサスの足を止めた。




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篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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