蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 82. 卒爾たる別れ

長編 『蒼穹の果てに』

クレフはいつも「そこ」にいて、誰のことも受け容れてくれる。でも、彼のことはいったい誰が受け容れ、彼の苦しみや哀しみは誰が受け止めてあげられるのだろう。

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 それは天門にたどり着く直前のことだった。向かう先から強力な『力』が放たれ、その鋭さに、ランティスは思わず急ブレーキをかけて立ち止まった。
 その『力』は瞬く間にランティスを支配した。指先を動かすことすらできない。底なし沼へ落ちていくようでもあり、逆に果てを知らない天上まで上り詰めていくかのようでもある、逆らうことを一切許さない圧がそこにあった。もう、自分はこの『力』に囚われたまま永遠に抜け出すことができないのだ――そう感じた刹那、しかしその『力』は突如ランティスを離れていった。そして、後には穏やかなまでのそよ風だけが残された。

 セフィーロ最高位の魔導師――今さらながらクレフに与えられた称号を思う。今自分の体を通りすぎていったような魔法を、ランティスはほかに知らなかった。すべてを包み込むように温かいようでいて、すべてを消し去ってしまうほど冷たい。これが、彼の『力』なのか。

 不意に、びゅう、と一陣の風が吹き抜け、ランティスははっと我に返った。再び走り出したとき、ランティスに余裕は残されていなかった。今のことでわかってしまった。クレフはもう、これまで抑えていた力を解き放つことに微塵のためらいも見せないほど、強い意志を持って『何か』をしようとしている。
 どうか間に合ってくれ――誰にともなくただ祈っていた。今、クレフを止めることができなければ、俺は一生後悔する。そう考えたとき、ふと脳裏に浮かんだのはザガートの姿だった。
「兄さん――」
 とっさに口から零れ落ちた言葉に一番驚いたのはランティス自身かもしれなかった。ザガートのことをそのように呼んでいたのは幼い時分だけのことで、あとはずっと、「ザガート」「ランティス」と呼び合う仲だったのだ。
 だが、とランティスは思う。自分にとってザガートは、死してなお「兄」なのだ。一度も敵うことのなかった、もっとも身近にしてもっとも偉大な存在。そして今、そんな彼にすがってでもランティスはクレフを引き留めたいと思っている。――だから、あの見知ったローブの裾が風にはためいているのを視界の隅に見止めたときは、ザガートが手を貸してくれたのだと本気で思った。死んだ者が生き返ることなど決してないと、わかっていても。

「――導師」
 半分の安堵と、半分の焦燥。ランティスの呼び声に、クレフがゆっくりとこちらを振り返った。
 クレフはランティスが見たことのないペガサスに跨っていた。純白の体に、金色の鬣。紫色の角が、斜め後ろから彼らを照らす夕陽を七色に反射している。
 思わずたじろいだのは無意識のことだった。一人と一頭が放つ気配はあまりに気高く、それ以上近づくことさえためらわれた。だから、クレフを一目見たときにふと感じた違和感の正体にもすぐに気がつくことはできなかった。

 本当は、そのときすでに気づいてしまっていた。彼はもう「決めた」のだと。ランティスを真っすぐに見返すクレフの瞳には、一切の迷いがなかった。
 それでもランティスは、自らの内側からせり上がる絶望をかなぐり捨て、一歩クレフに歩み寄った。
「どこへ行くつもりだ」
 クレフに向かって問うたのに、反応を示したのはペガサスの方だった。カツン、とたった一歩ランティスのほうへ足を向けただけだったのに、まるで地場が一変したかのようにランティスの全身が揺れた。思わずペガサスを見やる。こちらを見つめるその瞳は、このセフィーロの深い海のように真っ青だった。
 同じだ、とそのときランティスは思った。ペガサスとクレフの瞳は同じだ。そして気がついた。ペガサスの持つ気配は、クレフの持つそれとまったく同じだった。
「その精獣は――」
「やはり」
 クレフがランティスを遮り、初めて口を開いた。
「おまえは欺けんな」
 眩暈がした。クレフのその言い方が、まるで同じだったからだ。かつて、ランティスに向かって「また強くなったな」と言ってくれた、あのときと。
「今行くべきところなどない」
「……ランティス」
「なぜ月へ行こうとする。行けば死ぬと言ったのはあなただろう」
 困ったように笑うクレフの表情は、ランティスを早口にさせた。クレフは答えなかった。

 いつもは傅いて見上げているクレフなのに、ペガサスに跨っている彼は今、ランティスが立ったままさらに首を傾けてようやく目を合わせることができるほどのところにいる。その目線の高さの違いゆえなのか、ランティスはこれまで感じたことがないほどクレフを遠く感じた。物理的な距離としては、手を伸ばせば簡単に届くほど近いはずなのに。

 追いつくことなどできないとわかっていても、ランティスはいつもクレフを追っていた。そして今も、彼の持つ圧倒的な『力』の、しかもそのわずかな片鱗を見せられたにすぎない状況でもなお、こうして追ってきてしまっている自分がいる。師である人だから、という理由だけではない。ただ、彼のことをどうしても放っておけなかった。
 クレフは、絶対的に強い。それなのに、ランティスの目に映るクレフはいつもどこか危うかった。どれほど攻撃されても揺らぎさえしないように見えるのに、その一方で、ほんの少しトンと指先で押しただけでも倒れてしまいそうに見えることもあった。クレフはいつも「そこ」にいて、誰のことも受け容れてくれる。でも、彼のことはいったい誰が受け容れ、彼の苦しみや哀しみは誰が受け止めてあげられるのだろう。
 誰よりも強い人間だけが知っている孤独。クレフはいつも、そういうものの中に身を置いているような気がした。その孤独を、分かち合うことができないのなら、せめて彼がひとりでいることはないようにしたい。今日までずっと、そう思いながら生きてきた。ランティスにとってクレフは、あこがれの存在である以上に守るべき人でもあったのだ。

 ランティスは左足を半歩下げ、魔法剣に手をかけた。
「どうしてもと言うなら、俺もついていく」
「だめだ」とクレフが即座に返した。「何人たりとも連れていくわけにはいかん」
「あなたひとりで行かせるわけにはいかない」とランティスは声を荒げた。「ほかの誰のためでもない。俺のためだ」
 その言葉に、クレフがその双眸を見開いた。それは、クレフがこの場で初めて見せた反応らしい反応だった。
「あなたは」とランティスは言った。「あなたは何もわかっていない」
 クレフが眉を顰める。この人はどこまでも優しいのだと、こんなときなのに思った。
「行かないでくれ、導師クレフ」
 零れた言葉はあまりにも頼りなかったが、それがランティスの偽りのない本心だった。ランティスはその場で膝をつき、うなだれるようにこうべを垂れた。
「俺は、あなたを失いたくない」
 クレフが、月へ行こうとしている。プレセアの叫びでそのことを知り、クレフを失うかもしれないと思ったとき、ランティスの体は情けなく震えたのだ。クレフがいなくなる。その恐怖は、ランティスの想像を絶していた。

「……ランティス」
 呼び声に、ランティスはのろりと顔を上げた。逆光の中にたたずむクレフの表情は穏やかだった。
「おまえには、ずっと詫びなければならないと思っていたことがある」
 それは思いがけない言葉だった。眉根を顰めたランティスに構わず、クレフは言った。
「ザガートのことだ」
 はっと肩が震えた。
「そばにいながら、救うことができなかった。ザガートの心を知りながら、苦しんでいることを知りながら、私はみすみす死に追いやった」
 不意を突かれたせいなのか、クレフの一言一言が、ランティスの心の一番柔らかいところを鷲づかみにする。自分でも戸惑うほどに動揺していた。
「なぜ――なぜ、そんなことを。あなたが詫びることなど、何もない」
 しかしクレフは首を横に振った。
「気がつかなかったのだ」と彼は言った。「セフィーロの『柱』は、自らその役割から降りることを決して赦されない。その惨酷さに、私は、ザガートが『神官』として初めてエメロード姫に謁見したそのときまで気がつかなかった」
 だから何だと言うのだ、とランティスは心の中で叫んだ。そんなことは、クレフ一人のせいではない。ランティスだってわからなかったし、きっとエメロード姫にだってわかっていなかったに違いない。
「導師、いったい何を――」
「もしもここが『ゼファー』であったなら、あの悲劇は起きる必要はなかった。ザガートが死ぬこともなければ、エメロード姫が『魔法騎士』を召喚することもなかっただろう」
 反論しかけた、そのときだった。急に、クレフが言おうとしていることがはっきりとした形を持って目の前に迫ってきた。

 大広間でクレフが語った、セフィーロとゼファーの壮絶な過去。「エリーゼ」と呼ばれた女と『破壊神』の存在。新旧の『柱』制度の違い。クレフが今日まで生きながらえてきた理由。新しい『柱』制度とたくさんの死――ばらばらに並んでいるカードのように見えていたすべてのことが、一気に数珠をつなぐようにまとまっていく。
「……まさか」
 自分で導き出したのに、それは到底信じることのできない答えだった。否定してほしくてすがるようにクレフを見たのに、彼はそれどころかおもねるような笑みを刷き、とどめを刺すように言った。
「私は、すべてを知ったザガートは当然のように私を憎むものと思っていた。だが、ザガートは何も言わなかった。私が最後に『何か告げることはないか』と訊いたときも、『何もない』と、いつものように笑ったのだ」
「やめてくれ」
 できることなら耳をふさいでしまいたかった。ランティスは激しくかぶりを振った。
「二人に起こったことは、誰のせいでもない。まして、あなたのせいだなどということはあり得ない。そんなことは、ザガートもエメロード姫も考えていなかったはずだ」
 それはランティスの願いでもあった。突如目の前に突きつけられた真実の形を、ランティスはどうしても信じたくなかった。
「おまえたち兄弟は、優しすぎるな」
 緋色の逆光の中で、クレフが目を細める。口を開きかけたランティスを遮るように、クレフが「だが」と語気を強めて続けた。
「これは私が償わなければならない罪なのだ。すべての『アミュレット』の封印が解かれ、取り返しのつかないことになってしまう前に、やらなくてはならない。それに」
 一度言葉を区切ったクレフの前髪を、風がさらう。
「『約束』したのだ。この世界を滅びさせるようなことはしないと」
 ペガサスがランティスに背を向ける。その瞬間、ランティスは弾かれたように立ち上がった。
「だめだ、あなたひとりでは」
 伸ばした手は、しかしペガサスにもクレフにも触れることはなく、手前で何か壁のようなものに弾かれた。
「天門」と呼ばれながら、そこには空と城の境目を示すものは何もなかったはずなのに、今、その外側にいるクレフと内側にいるランティスとを明らかに隔てるものがあった。目には見えない、だが、手が触れればまるでガラスのように固い、扉のようなものが。
 ランティスは信じられない気持ちでクレフを見上げた。彼が額に戴くサークレットがほのかな光芒を宿している。それを見て初めて、ランティスはずっとそこにあった違和感の正体を知った。今のクレフは、いつなんどきも手放すことがなかった杖を手にしていなかった。

「ランティス、わが愛弟子よ」
 このセフィーロで最高位の魔導師が、呪文すら唱えることなく創り出した魔法の壁は、どれほど叩いてもびくともしない。ランティスは咄嗟に腰から魔法剣を抜いた。でも、これがクレフの魔法だと思うと傷つけられなかった。
「皆を頼む」
 そう言って、クレフは最後、穏やかに笑った。カッとペガサスの蹄が地を蹴り上げる。鳥よりも早く駆けていくペガサスは、クレフを連れ、やがて夕焼けの空に溶けるようにして吸い込まれていった。
 しっかりとした意志を持った魔法の壁が、文字どおりランティスの行く手を阻んでいる。握りしめた拳が震えても、どうしようもなかった。額をつけた壁は、温かかった。
「導師!!」
 声が枯れるほどの叫びを、クレフが創った魔法の壁が吸い込んでいく。まるで、いつも「そこ」にいてすべてを受け止めてくれていた、彼自身のように。




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2018.09.06    編集

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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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