蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 83. 先を視る女(ひと)

長編 『蒼穹の果てに』

海には何もなかった。命を責める権利も、彼女の問いへの応えも、彼女を慰める言葉さえも。

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「さあ姫、そろそろ城の中へ」
「いやよ。まだ帰りたくない」
「わがままが過ぎるぞ。今日は、王が自らあなたに王族としての礼儀作法を教えることになっていたはずだろう」
「お父さまのお話は退屈なんだもの。こうして導師さまと外を歩くほうがよっぽど楽しいわ」
「私はあなたを連れ戻しに来たのであって、あなたと外を出歩きに来たわけでは」
「あっ、ほら、見て、導師さま! ブイテックがあんなにたくさんなってるわ」
「……姫」

 少女が構わず駆け出し、少年が慌てて後を追う。言葉もなく目で追うしかない海の隣で、『命』が吹き出した。
「エメロードは、クレフの唯一の弱点なのだ。まったく、最高位の魔導師が聞いて呆れる。あれではきっと、夕方まで戻ってこないだろう」
 命がそう言ったので、海は自分が見た少女が「エメロード姫」で間違いないのだと確信することができた。今ここにいるエメロード姫は、海がかつて見たことのある姿よりも少し幼かったのだ。一緒にいるクレフよりも背が低い。8歳か、9歳くらいだろうか。金色の髪もまだ腰くらいまでしかなく、このセフィーロにならばどこにでもいるような、純真無垢なただのひとりの少女だった。――でも、そんなエメロード姫以上にクレフのほうが、自分が知っている姿とはまったく違うように見えた。
「……クレフがエメロード姫に接するときって、もっと、距離感があるのかと思ってた」
「必要ないのだよ。エメロードはこの国の姫であって、『柱』ではないのだから。――今は、まだ」
 独り言のつもりだったのに応じる言葉があって、しかもそれは、惨酷な事実を内包していた。

 すうっと背筋が冷える。そしてそのとき、海は確信した。思わずカッとなり、命を振りかぶった。
「どうして笑っていられるの? 知っているんでしょう、これからあの二人に何が起きるのか。あの二人がどれだけ苦しんで、どれだけ哀しむのか。それなのに、あなたは何もせず、こうして笑って見ているだけなの? 未来が視えるのなら、なんでもできるはずじゃない」
 変えたい未来があって、そのために『柱』になった。女はそう言った。彼女が『柱』になってまでも変えたかった未来は、けれど変わらなかった。皮肉にも、今ここにいる海の存在がそれを証明してしまっている。海は、やり場のない憤りをどうしたらいいのかわからなかった。

 命はその澄んだ水色の瞳で海を見つめ、静かな笑みを刷いた。そして言った。
「ならば、教えてくれないか。私はどうしたらいい?」
「――え?」
「そうだ。おまえが言うように、私は『知っている』。遠い未来に何が起きて、そしてそこでおまえが何をするのかも。私はその未来を変えたかった。――いや、今も変えたい、と思っている。でも、どうしたらその未来は変えることができる?」
「それは――」
「考えたよ、嫌になるほどたくさんのことを。真っ先に思ったのは、エメロードが『柱』にならなければいい、ということだった。だが、セフィーロは『意志の世界』だ。強い意志を持った者が世界を治める。エメロードの『心』が強く成長していくのを止めることはできない。彼女が生きている限り、遅かれ早かれエメロードの時代はやってくる。……では、エメロードが生まれてこないようにすればいいのではないかとも考えた。現に、今の国王と女王が出逢ってからエメロードが生まれてくるまでのあいだには長い時間の経過があった。私の迷いが、ふたりが子をもうけることを妨げていたのだ。だが――子宝に恵まれず思い悩む国王と女王を見ているうちに、私は思うようになった。この家族の幸せを阻む権利が、果たして私にあるのだろうかと。エメロードが生まれれば、王家には笑顔の絶えない日々が訪れることもまた、私は知っていたからね」
 まるで一切の感情をそぎ落としたかのように、命は淡々と言葉を紡いでいく。
「答えを出せずにいるうちに、女王懐妊の知らせが来た。おそらく、子が欲しいという国王と女王の『意志』が私に勝ったのだろう。やがて、エメロードが生まれた。そして今がある」

 命は海から視線を外し、エメロード姫とクレフが駆けて行ったほうを見やった。細められた目に、長いまつ毛の影がうっすらとかかる。
「クレフとエメロードをあまり近づけないほうがいいのではないか、とも考えた。親しくなればなるほど、失ったときの哀しみは大きい。だが、クレフにとってエメロードはかけがえのない存在であり、エメロードもまた、クレフを必要としている。惨酷な未来が待っているからといって、『今』の幸せを奪うことは、果たして正しいことなのか?」
 温かいのにどこかひんやりとした風が、まず命を撫で、そして海の髪をさらう。その風の後を追うように、命がまた海を見た。けれど海の目にはもう、彼女がほほ笑んでいるようには見えなかった。
「どうすべきか決められずにいるうちに、気がつけば300年もの時が経ってしまった。教えてくれ、娘よ。私はどうすればいい? どうすれば、私の『願い』はかなえられる?」
 海には何もなかった。命を責める権利も、彼女の問いへの応えも、彼女を慰める言葉さえも。


 エリーゼに「人殺し」と言われたときに感じた心の痛みは、あの最初の戦いで受けた衝撃が自分の中から消えることは永遠にないのだということを海に突きつけた。忘れることなどできないし、これからもきっと、幾度となく後悔の波に襲われて眠れない夜を過ごすことになるのだろう。でも、これまで何度涙に枕を濡らしても、海はそのたびに哀しみの夜を乗り越え、強さに変えてきた。なぜならば、どれほど考えてもあのときは結局「ああするしかなかった」からだ。
 どの場面を思い出しても、そのときどきで自分が最善と信じた道を選んだ。最後、エメロード姫をこの手で貫いた瞬間も、それしかないのだと考えに考え抜いた末に選んだことだった。仮に『魔法騎士の伝説』に隠された本当の意味をあらかじめ知っていたとしても、果たして違う道を選べたかどうかわからない。

 命が言うことの意味を、海はとっくに体験してわかっているはずだった。それなのに、最初は彼女を責めてしまった自分のことが、今となってはあまりにも恥ずかしく、到底信じられなかった。
「この世界に残りたいというのなら、止めはしない。だが、おまえにとってこの世界で生きていくということは、日々突きつけられる自分の無力さと闘い続けるということだ」
 命が言った。
「これからエメロードはますます強くなっていく。そしてその傍らにはいつもクレフがいる。おまえはそれをそばで見ながら、二人の運命を変えられるか?」
 もう、そこには誰もいないのに、さっきまでエメロード姫とクレフがいた庭に、まだ二人の残像を見ることができる。あのときそこにいたクレフは、「海の知らないクレフ」だった。「導師さま」と呼ばれながら、その威厳を振りかざすこともなく、エメロード姫の一挙手一投足にころころと表情を変える。クレフにあんな風に落ち着きのない一面があるなんて、海は知らなかった。

 ふと、クレフと二人きりで話をしたときのことを思い出した。クレフが『月』と『破壊神』のことを話して聞かせてくれた日の夜。広間の噴水のたもとで、クレフはエリーゼのことを「美しい人だった」と言った。過去に思いを馳せていたクレフは、おそらく無意識のうちにとても柔らかい表情をしていて、海はどうしても切なくなった。あのときの表情に、今この『セフィーロ』で見たクレフのそれはどこか似ていた。

「あなたは」と海は言った。「強いのね」
 今ならば、「未来が視える」と言ったときに命が哀しそうな顔をした理由がわかる。「無力さと闘い続けている」のは彼女自身で、この先に何が待っているのかを知りながらも、彼女は絶えずほほ笑みを刷いている。そうするしかないからだ。

「私はね」と命が言った。「『ゼファー』は滅びると思っていたのだよ。それが私の視た『未来』だった。ところがそうはならなかった。確かに生き地獄ではあったかもしれないが、この地は残され、そして生き残った者もいた。だが――」
 命が言いかけたとき、背後で大きな水しぶきの音がした。二人は自然と振り向いた。すると、イルカに似た魚の大群が、海面を規則正しくジャンプしながら泳いでいるのが見えた。
 水辺に子どもたちが集まり、歓声を上げている。まるで絵に描いたような「幸せ」がそこにあった。
 隣で命の雰囲気が柔らかくなったのを感じた。彼女は海に向かって腕をすっと伸ばすと、半円を描くように優しく手を揺らがせた。すると、その手の動きに合わせるようにして、イルカが上げた水しぶきの上に七色の虹がかかった。
「――私の『夢見』が外れるのは、一度だけだ。もう二度と、外れない」
 まるで一言一言をその場に置くように、命が静かに言った。それはとても力強く、けれどとても哀しい言葉だった。その重さでもう二度と歩き出すことができないような気さえするほど、それは海の心に重たく積み上がった。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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